野田尚史 学歴・職歴 著書・論文 講演・発表



※この展望は,「2002・2003年における日本語学界の展望 文法(理論・現代)」(『国語学』第55巻3号,日本語学会,2004年7月)の 詳細版 として ネット限定 で公開するものである。

 

 

20022003年における日本語学界の展望

文法(理論・現代)[詳細版]

20047月公開)

野 田 尚 史

 

1. 2002年と2003年の全般的な動向

 

 この展望の対象とするのは,2002年と2003年に日本国内で発行された,文法(理論・現代)とそれに関連の深い分野の著書約60点と論文約850点である。

 これらの著書・論文を見渡したとき,全般的な動向として,次の5点があげられる。

  ()中心的なテーマの記述的研究の成熟:格やボイス,テンス,モダリティといった現代語文法の中心的なテーマが成熟し,それらの集大成が進んでいる。

  (2)周辺的なテーマの記述的研究の進展:格やモダリティでも周辺的な現象を扱う研究や,否定や副詞のような周辺的なテーマを扱う研究が進展している。

  (3)さまざまな研究方法の開発:コーパスを使った計量的な研究や認知言語学的な研究など,「内省による記述的な研究」以外の研究方法の開発が続いている。

  (4)日本語学の他の分野と連携した研究領域の拡大:文法の歴史的研究や方言の文法研究との連携,談話研究との連携によって,研究領域が拡大している。

  (5)日本語学以外の分野と連携した研究領域の拡大:他言語の研究との連携,日本語教育や国語教育との連携によって,研究領域が拡大している。

 これらは,この2年間だけに特有の動向ではなく,十年あるいは数十年単位で変わっていく動向の一局面であり,これまでの「展望」でも指摘されてきたことである。

 野村剛史は,1988年と1989年の展望「文法(理論・現代)」(『国語学』161,1990)で,1970年前後を「格の時代」,1980年前後を「アスペクト・テンスの時代」,1990年前後を「モダリティの時代」と呼んでいる。その延長で2000年前後を考えると,文法カテゴリーの名前をつけて呼ぶことは,すでにできなくなっている。

 あえて名づけると,「多角化の時代」とでもするのがよいだろう。前の(1)で述べたように,格やモダリティといった主要な文法カテゴリーについての内省による記述的研究が成熟し,同じ路線では大きな展開は望めなくなってきた。その結果,(2)から(5)のように,研究テーマや研究方法,研究領域の多角化へのさまざまな試みが進んでいる。

 この展望では,前にあげた(1)から(5)の動向別に,時代を先取りしていると思われる特色ある著書・論文を中心に取り上げる。それによって,これからの文法研究の方向性を浮かびあがらせたい。その結果,大きな特色はないが着実な成果をあげている多くの著書・論文には残念ながら触れられないことになるが,お許しいただきたい。

 

2. 中心的なテーマの記述的研究の成熟

 

 最近の30年ぐらいで現代語の記述的研究は大きく発展した。その中心的なテーマは,格やボイスからアスペクト・テンスへ,さらにモダリティへと進んできた。その順序は,文の中で客観的なことを表す部分から主観的なことを表す部分へという順序だとも言え,述語成分の中で前の方に現れる形式から後ろの方に現れる形式へという順序だとも言える。そのような記述的研究が最後のモダリティでも多くの成果をあげたということは,そのような中心的なテーマは完全に成熟期に入ったということである。それは,これまでの路線では新しい研究をするのがむずかしくなっているということでもある。

 

 2.1 格についての記述的研究の成熟

 格を本格的に扱った研究は少なくなっている。(6)は,動詞が実際にどんな格をとるかを示した大規模なデータ集である。格の研究がたどり着いた成果の一つと言えるが,大量のコーパスに基づいている点や,言語情報処理を念頭においている点が新しい。

  (6)荻野孝野・小林正博・井佐原均『日本語動詞の結合価』(三省堂,2003.12)

 

 2.2 モダリティについての記述的研究の成熟

 モダリティの研究が盛んになってまだ十数年しかたっていないが,その短い期間に非常に多くの優れた研究が行われたため,モダリティの研究はすでに成熟期に入っている。(7)は,これまでのモダリティ研究を踏まえ,モダリティの中心的な部分を穏当に記述したものである。これからのモダリティ研究の出発点の一つになるものである。

  (7)宮崎和人・安達太郎・野田春美・高梨信乃『モダリティ』(くろしお出版,2002.6)

 

 2.3 現代語文法全体についての記述的研究の成熟

 かなり前から現代語全体を詳しく記述した文法書が必要だと言われてきたが,(8)によってやっとそれが現実のものとなってきた。この全7巻の文法書が完結し,そのライバルとなるような別の文法書が現れれば,現代語の記述的研究は完全に成熟の時代を迎える。それは,現代語の記述的研究の時代が終わりに近づいているということでもある。

  (8)日本語記述文法研究会『現代日本語文法4 第8部モダリティ』(くろしお出版,2003.11)

 『日本語の文法』(全4巻)も(9)で完結した。このシリーズは文法全体を網羅したものではないが,現在の現代語文法の研究水準を示すものになっている。

  (9)野田尚史・益岡隆志・佐久間まゆみ・田窪行則『複文と談話』(岩波書店,2002.1)

 

 2.4 現代語の記述的研究の源流を解説・評価する著書

 現代語の記述的研究が成熟期を迎えたことにより,その源流を解説し,評価する著書が出版された。(10)は,「日本語記述文法」を開拓した三上章と,それを受け継ぎ,体系化した寺村秀夫の研究を位置づけ,日本語記述文法がこれから進むべき道を示した労作である。そのほか,2003年は三上章の生誕100年に当たることもあり,三上章に関連する著書がいくつか出版された。(11)は,三上章の文法を丁寧に解説したものである。

  (10)益岡隆志『三上文法から寺村文法へ―日本語記述文法の世界―』(くろしお出版,2003.11)

  (11)庵功雄『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父 三上章―』(くろしお出版,2003.4)

 

3. 周辺的なテーマの記述的研究の進展

 

 これまでの現代語の文法研究で中心的なテーマになってきた格やボイス,モダリティでも,周辺的な現象を扱う研究が進んでいる。また,否定や副詞的成分,名詞句,複文のような周辺的なテーマを扱う研究も着実に進展している。

 

 3.1 語構成や品詞の周辺的な現象の記述的研究の進展

 かなり前から成熟している語構成や品詞の研究は,現在,あまり活発ではないが,周辺的な現象を扱った注目すべき研究もある。(12)は,「がらあき」のような語を名詞ではなく,形容詞として位置づけた上で,大量の語例についてその語構成を整理していて,貴重である。(13)は,「飛び集まる」のような「即席」の複合動詞を,「既成」の複合動詞と比較していて,新鮮である。(14)は,これまで研究がなかった「冷凍保存する」のような漢語複合動詞を分析したものである。

  (12)村木新次郎「第三形容詞とその形態論」(『国語論究10 現代日本語の文法』,明治書院,2002.12)

  (13)石井正彦「「既成」の複合動詞と「即席」の複合動詞――小説にみる現代作家の語形成――」(『国語論究10 現代日本語の文法』,明治書院,2002.12)

  (14)小林英樹「漢語複合動詞をめぐって」(群馬大『語学と文学』39,2003.3)

 

 3.2 格やボイスの周辺的な現象の記述的研究の進展

 格やボイスについても,周辺的な現象を扱うおもしろい研究が行われている。(15)は「さつまあげの揚げたて」のような表現を分析している。(16)は,「太郎は仕事に追われた」のような対応する能動文が成り立たないものの位置づけを考察している。

  (15)鈴木浩「日本語属格の周縁――意味上の主要部を後項に認めがたい型――」(明治大『文芸研究』88,2002.9)

  (16)林青樺「<慣用的受身文>の位置付けをめぐって」(東北大『文芸研究』154,2002.9)

 そのほか,ボイスの周辺に位置づけることもできる「~てくれる」「~てもらう」など,受益表現の研究の多さが目立った。

 

 3.3 否定の記述的研究の進展

 これまで否定の研究は多くなかったが,最近,増えてきている。(17)は談話の中での否定の機能を多角的に捉えたもの,(18)はコンテキストやテンス・アスペクトとも関連させながら否定を分析したものである。さらなる進展が期待できるテーマである。

  (17)Yamada, Masamichi(山田政通)The Pragmatics of Negation: Its Functions in Narrative(ひつじ書房,2003.3)

  (18)王学群『現代日本語における否定文の研究―中国語との比較対照を視野に入れて―』(日本僑報社,2003.8)

 

 3.4 モダリティの周辺的な現象の記述的研究の進展

 モダリティも成熟した研究テーマであるが,モダリティの中では周辺的なテーマである「のだ」「わけだ」「はずだ」や伝聞,終助詞についての研究はかなり多い。さらに周辺的なものとして(19)や(20)がある。(20)は,まったく違う種類のものとして比べられることがなかった「しようか」と「だろうか」の共通点をと相違点を分析している。

  (19)安達太郎「現代日本語の感嘆文をめぐって」(『広島女子大学国際文化学部紀要』10,2002.2)

  (20)宮崎和人「〈意志〉と〈推量〉の疑問形式」(『岡大国文論稿』31,2003.3)

 

 3.5 副詞的成分の記述的研究の進展

 「さぞ」や「もっと」など,さまざまな副詞の個別的な研究も進んでいる。ただ,副詞的成分は語彙的な性格が強く,体系的な研究はこれまでほとんどなかった。その中で,(21)は,結果,様態,程度量,時間関係,頻度という5種類の命題内で働く副詞的成分を体系的に網羅していて,価値がある。

  (21)仁田義雄『副詞的表現の諸相』(くろしお出版,2002.6)[山岡政紀による書評論文:『日本語文法』4-1,2004]

 

 3.6 名詞句・名詞節の記述的研究の進展

 日本語には冠詞がないこともあり,名詞句の研究はあまり進んでいなかった。(22)は,名詞句の指示性・非指示性や飽和性・非飽和性などをもとに,コピュラ文や「象は鼻が長い」などを分析したものである。意味論と語用論からの分析という点も新しい。(23)は,名詞節の定・不定の違いなどから「の」と「こと」の選択を探ったものである。

  (22)西山佑司『日本語名詞句の意味論と語用論―指示的名詞句と非指示的名詞句―』(ひつじ書房,2003.9)

  (23)鎌田倫子「ノとコトの選択―統語特徴と構造から―」(神田外語大『言語科学研究』特別号2(博士学位論文掲載号),2002.11)

 

 3.7 複文の記述的研究の進展

 複文の研究も,「~のに」や「~うちに」,「~なら」といった定番のものだけでなく,(24)から(26)のような周辺的なものにも広がってきている。(24)で扱っているのは,「~は~に貢献したとして,表彰された」のような「として」である。(26)は「学生が来た人数」のような表現を分析したものである。

  (24)藤田保幸「接続助詞的用法の「~トシテ」について―「複合辞」らしさの生まれるところ―」(『滋賀大国文』41,2003.7)

  (25)津留崎由紀子「形容詞の中止形を用いた複文における先行句節と後続句節の関係」(『日本語科学』13,2003.4)

  (26)江口正「遊離数量詞の関係節化」(『福岡大学人文論叢』33-4,2002.3)

 

4. さまざまな研究方法の開発

 

 研究データや分析方法の多角化も確実に進んでいる。研究データとしては,生の話しことばのデータやコーパスが広く使われるようになり,分析方法としては,意味論や認知言語学,語用論などの研究方法が取り入れられるようになってきている。

 

 4.1 生の話しことばのデータを使った研究方法の開発

 生の話しことばをデータとして使う研究が増えている。(27)は,約12時間分の話しことばを文字化したデータがCD-ROMで提供され,そのデータを使った実証的な論文が収録されている。データも論文も,有益である。(28)は,パソコンのゲームを2人1組でするときの会話という「繰り返し」の分析に適したデータを使っている。(29)は,テレビ番組のデータを使って,「けど」の話者交代などの機能を分析している。

  (27)現代日本語研究会(編)『男性のことば・職場編』(ひつじ書房,2002.12)[中島悦子「職場の男性の疑問表現」,尾崎喜光「新しい丁寧語「(っ)す」」などを収録]

  (28)岡部悦子「課題解決場面における「くり返し」」(『早稲田大学日本語研究教育センター紀要』16,2003.4)

  (29)中溝朋子「会話に特徴的なケドの機能」(『松田徳一郎教授追悼論文集』,研究社,2003.7)

 

 4.2 コーパスを使った数量的な研究方法の開発

 コーパスによる数量的な研究も確実に増えている。(30)は話しことばの種類による違いを考慮している点に特徴があり,(31)はコーパス調査とアンケート調査の結果の違いにも言及している点に特徴がある。(32)は,話しことばに特有の現象を扱っている。

  (30)丸山直子「話しことばの助詞―「って」を中心に―」(『東京女子大学日本文学』98,2002.9)

  (31)杉村泰「コーパス調査のよる文法性判断の有効性――「~てならない」を例にして――」(『日本語教育』114,2002.7)

  (32)丸山岳彦「話しことばコーパスに現れる「ですね」の分析」(神戸市外国語大,文法研究会『さわらび』11,2002.9)

 

 4.3 意味論的な研究方法の開発

 複雑な文法現象を解明するのに「意味」を重視する研究方法もさまざまな形で試みられている。(33)は,「先生の眼鏡はおしゃれでいらっしゃいますね」のような,やや例外的・周辺的な文がどのような条件で自然になるのかを,意味を重視したモデルで説明する新鮮な論である。無生物主語のニ受動文,多主格文,状態変化主主体の他動詞文などを扱っている。(34)も,やや例外的な文を,英語とも対照させて,鮮やかに分析している。(35)は,「より」の意味拡張から「それより」の話題転換機能を説明している。

  (33)天野みどり『文の理解と意味の創造』(笠間書院,2002.12)

  (34)影山太郎「語彙の意味と構文の意味――「冷やし中華はじめました」という表現を中心に――」(『日本語学と言語学』,明治書院,2002.1)

  (35)川端元子「「離脱」から「転換」へ――話題転換機能を獲得した「それより」について――」(『国語学』53-3,2002.7)

 

 4.4 認知言語学的な研究方法の開発

 認知言語学的な研究も盛んであるが,すでに知られている文法現象を整理し直し,新しい説明を与えようとするものが多い。その中で,(36)をはじめ定延利之の研究は斬新である。北京帰りの人が「こんな品物は日本にしかないでしょうね」と言われ,「北京でありましたよ」と,「ある」に「で」を使うといった不思議な現象を取り上げている。

  (36)定延利之「「インタラクションの文法」に向けて――現代日本語の疑似エビデンシャル――」(『京都大学言語学研究』21,2002.12)

 

 4.5 語用論的な研究方法の開発

 語用論的な研究も広まっている。(37)は,形容動詞やゼロ助詞,数量詞などを含め,広く修飾構造を扱ったものである。統語論で分析できるところは統語論で分析した上で,語用論でしか分析できないところを語用論で分析するという姿勢で書かれており,堅実である。(38)は,気づきにくい表現を取り上げ,「一人称制限」を語用論や文体論のレベルを中心に考察したものである。

  (37)加藤重広『日本語修飾構造の語用論的研究』(ひつじ書房,2003.2)[第22回新村出賞受賞]

  (38)揚妻祐樹「現代の「枕詞」――「嬉しい初優勝」という表現について――」(『国語論究9 現代の位相研究』,明治書院,2002.1)

 

5. 日本語学の他の分野と連携した研究領域の拡大

 

 日本語学の他の分野と連携して,現代語文法の研究領域を拡大し,新しい成果をあげるものも目立ってきた。連携の相手は,大きく分けると,文法の中の歴史的研究や方言研究と,文法の外の音声・音韻研究や談話研究である。

 

 5.1 文法の歴史的研究と連携した研究領域の拡大

 「文法化」が注目されていることもあって,現代語を歴史的な変化の中で見ていこうという機運が少しずつ盛り上がってきている。(39)は,とりたてについて,現代語研究と日本語史研究,方言研究を関連づけようとする試みである。

  (39)沼田善子・野田尚史(編)『日本語のとりたて――現代語と歴史的変化・地理的変異』(くろしお出版,2003.11)

 小池康は,(40)をはじめ,明治期以降の副詞の用法の変遷を集中的に追っている。(41)と(42)も,歴史的な変化を視野に入れて現代語を見ていくもので,意義がある。

  (40)小池康「副詞の共起形式に関する史的変遷――推量のモダリティ副詞を中心に――」(『日本語科学』12,2002.10)

  (41)小西いずみ「会話における「だから」の機能拡張――文法機能と談話機能の接点――」(『社会言語科学』6-1,2003.9)

  (42)土岐留美江「「だろう」の確認要求の用法について――江戸時代後期と現代における様相の比較――」(『日本近代語研究』3,2002.3)

 現代語だけを対象にして得られた研究成果を普遍的なものとしないで,古代語を含めて考え直すことも重要である。(43)はそのような試みの一つである。

  (43)野村剛史「モダリティ形式の分類」(『国語学』54-1,2003.1)

 

 5.2 方言の文法研究と連携した研究領域の拡大

 方言の文法を精査することにより,さまざまな言語現象を掘り起こし,標準語の文法をより客観的に説明する研究も,工藤真由美を先頭に進んでいる。(44)と(45)は標準語を含めた方言間の違いから出発し,文法化まで論を進めていて,ダイナミックである。(46)は限られた地域の方言を扱ったものであるが,不均衡を整える方向の体系変化を明快に説明している。

  (44)工藤真由美「文法化とアスペクト・テンス」(『シリーズ言語科学5 日本語学と言語教育』,東京大学出版会,2002.12)

  (45)日高水穂「「のこと」とトコの文法化の方向性――標準語と方言の文法化現象の対照研究――」(『日本語文法』3-1,2003.3)

  (46)高田祥司「岩手県遠野方言のアスペクト・テンス・ムード体系―東北諸方言における動詞述語の体系変化に注目して―」(『日本語文法』3-2,2003.9)

 

 5.3 音声・音韻の研究と連携した研究領域の拡大

 音声や音韻との関係で文法現象を見るものも,少数ながらある。(47)は,制限的修飾・非制限的修飾といった違いが韻律にどう反映するかを示したものである。(48)は,格関係・等位関係・ 修飾関係と連濁・アクセントの一体化の関係を説明するものである。

  (47)澤田浩子・朱春躍・中川正之「形容詞連体修飾における文法と音声」(『日本語文法』3-1,2003.3)

  (48)三宅知宏「語の内部関係と音韻現象――形態論と音韻論の接点Ⅱ――」(『国文鶴見』36,2002.3)

 

 5.4 談話研究と連携した研究領域の拡大

 談話に関わる文法現象を扱う研究も盛んである。これまで文文法で扱われてきた文法現象を談話の中での働きから見ていこうとするものとして,(49)や(50)や(51)がある。

  (49)砂川有里子「日本語コピュラ文の構造と談話機能」(『シリーズ言語科学5 日本語学と言語教育』,東京大学出版会,2002.12)

  (50)加藤陽子「日本語母語話者の体験談の語りについて――談話に現れる事実的な「タラ」「ソシタラ」の機能と使用動機――」(『世界の日本語教育』13,2003.9)

  (51)ザトラウスキー,ポリー「共同発話から見た「人称制限」,「視点」をめぐる問題」(『日本語文法』3-1,2003.3)

 文文法で軽視されてきた現象の研究も多い。(52)は,応答表現などに使われる「はい」や「うん」をさまざまな観点から分析していて,価値がある。冨樫純一は,(53)をはじめ,談話標識の文法的な分析を精力的に進めている。(54)は,「あのー」や「ええと」のようなフィラーを講演や対話といった談話の種類別に,総合的に分析している。

  (52)定延利之(編)『「うん」と「そう」の言語学』(ひつじ書房,2002.11)[串田秀也「会話の中の「うん」と「そう」――話者性の交渉との関わりで――」,黄麗華「中国語の肯定応答表現―日本語と比較しながら―」などを収録]

  (53)冨樫純一「談話標識「まあ」について」(『筑波日本語研究』7,2002.8)

  (54)山根智恵『日本語の談話におけるフィラー』(くろしお出版,2002.12)

 内田安伊子は,(55)をはじめ,質問に対するさまざまな応答について興味深い研究を着実に進めている。

  (55)内田安伊子「肯否判定要求質問に対する間接的な応答」(『日本語教育』115,2002.10)

 

6. 日本語学以外の分野と連携した研究領域の拡大

 

 日本語学以外の分野と連携して,日本語文法に新しい視点をもたらす研究も数多い。具体的には,他の言語の研究と連携した対照研究や,日本語教育,国語教育,言語情報処理と連携した応用的な研究である。

 

 6.1 他の言語との対照研究と連携した研究領域の拡大

 日本語と他の言語を比較・対照することにより,日本語を新しい視点から見ていこうとする研究は,著書・論文数がかなり多い。そのような研究は,大きく分けると,理論的な色彩が強いものと記述的な色彩が強いものの2つになる。

 理論的な色彩が強い研究は,言語の普遍性と個別性をとらえようとするものであり,日本語と対照する相手が英語のものが多い。(56)は英語を対象にして得られた生成文法の成果をもとに日本語を見ようとする試みで,「かきまぜ」や受動文,WH構文など,主に移動が関わる現象を取り上げている。(57)と(58)は生成文法を批判し,機能的な分析を提案するものである。(57)は受身文や「~してもらう」「~してくれる」構文などを扱い,(58)は「だれか」や「だれも」「それぞれ」などを扱っている。(59)はエスキモー語と対照することにより,日本語の助動詞や接辞を中心に,主に述語の形態論を見直そうとするものである。どれも,日本語の文法現象を広い視野から見るのに役立つ。

  (56)西垣内泰介・石居康男『英語から日本語を見る』(研究社,2003.6)

  (57)高見健一・久野暲『日英語の自動詞構文』(研究社,2002.1)[西光義弘による書評論文:『日本語文法』2-2,2002]

  (58)Kuno, Susumu and Ken-ichi Takami(久野暲・高見健一)Quantifier Scope(くろしお出版,2002.4)

  (59)宮岡伯人『「語」とはなにか――エスキモー語から日本語を見る――』(三省堂,2002.7)[定延利之による書評論文:『日本語文法』3-1,2003]

 一方,記述的な色彩が強い研究は,日本語教育や外国語教育に役立てようとするものが多く,日本語と対照する相手が中国語や韓国語のものが多い。格やボイス,アスペクト,モダリティなど,これまで現代日本語文法の研究の中心であったテーマを扱った(60)のようなものが多いが,授受表現や,談話の中で「ですます」体と「だ」体を切り替えるスピーチレベルシフトなど,比較的新しいテーマを扱った(61)のようなものも出てきた。

  (60)馬小兵「中国語の介詞“対”と日本語の複合格助詞「に対して」」(文教大『文学部紀要』16-2,2003.1)

  (61)金珍娥「日本語と韓国語における談話ストラテジーとしてのスピーチレベルシフト」(『朝鮮学報』183,2002.4)

 (62)は,朝鮮語・中国語と比較することにより日本語のテンス・アスペクトがより深く理解できるようになる好論である。(63)は,同じように3系列の指示詞を持つ日本語の現代語と古代語,韓国語,トルコ語を対照していて,指示詞研究のよい見通しが得られる。(64)は,インド諸語で言えない「私はお腹を壊した」のような他動詞表現が日本語で は言えることに注目したものであり,日本語を単純に「なる」型の言語とすることに反省を迫る内容になっている。(65)は,日本語とフランス語の具体的な構文の違いを意味拡張の違いとして捉えるなど,新しい時代を感じさせる。(66)は文学作品の誤訳を対照の材料にしようとするもので,ユニークである。

  (62)井上優・生越直樹・木村英樹「テンス・アスペクトの比較対照――日本語・朝鮮語・中国語」(『シリーズ言語科学4 対照言語学』,東京大学出版会,2002.11)

  (63)金水敏・岡崎友子・曺美庚「指示詞の歴史的・対照言語学的研究――日本語・韓国語・トルコ語」(『シリーズ言語科学4 対照言語学』,東京大学出版会,2002.11)

    (64)Pardeshi, Prashant ““Responsible” Japanese vs. “intentional” Indic: A cognitive contrast of non-intentional events”(『世界の日本語教育』12,2002.6)

  (65)春木仁孝「認知言語学的観点からの日・仏語対照研究の可能性」(大阪大『言語文化研究』29,2003.2)

  (66)油谷幸利「誤訳に基づく日韓対照研究」「誤訳に基づく日韓対照研究〈2〉」(同志社大『言語文化』5-1,6-2,2002.8,2003.12)

 (67)は,対照研究と日本語教育を結びつけるときの問題を探ったものである。

  (67)国立国語研究所(編)『対照研究と日本語教育』(くろしお出版,2002.3)[井上優「「言語の対照研究」の役割と意義」などを収録]

 

 6.2 日本語教育と連携した研究領域の拡大

 日本語教育と連携した研究の中にも,日本語文法の研究に新しい視点をもたらすものが多い。(68)から(71)のように,日本語学習者と日本語母語話者の文法を比較するのは,日本語教育に有益なだけでなく,日本語の文法をより深く理解するのにも有用である。

  (68)木暮律子「日本語母語話者と日本語学習者の話題転換表現の使用について」(『第二言語としての日本語の習得研究』5,2002.12)

  (69)新屋映子「日本語の文末形式――中国人の日本語作文と日本人の日本語作文を比較して――」(『松田徳一郎教授追悼論文集』,研究社,2003.7)

  (70)栗山昌子「日本語の伝聞形式と話法――日本語学習者の習得し難い点――」(福岡女学院大『人文学研究』5,2002.3)

  (71)朴承圓「不満表面場面における一人称「私」の使用をめぐって~日本語母語話者と韓国人日本語学習者の相違~」(東北大『文化』65-3・4,2002.3)

 日本語教育の分野では,(72)から(74)のような習得研究が非常に盛んである。学習者の日本語も日本語の一種であることを考えると,学習者の日本語を分析し,それと母語話者の日本語を比較することによって,母語話者の日本語がより深く理解できることも多い。ただし,習得研究のテーマは,日本語の文法研究で蓄積があるものが多い。

  (72)許夏珮「日本語学習者によるテイタの習得に関する研究」(『日本語教育』115,2002.10)

  (73)家村伸子「日本語の否定表現の習得過程―中国語話者の発話資料から―」(『第二言語としての日本語の習得研究』6,2003.12)

  (74)堀恵子「韓国語母語話者を対象とする日本語条件文の習得研究」(麗澤大『言語と文明』1,2003.3)

 習得研究が盛んになってきたことを証明するように,(75)のような優れた概説書が出版され,(76)のような展望論文や解説を集めた大部の特集号も刊行された。

  (75)迫田久美子『日本語教育に生かす第二言語習得研究』(アルク,2002.2)[佐々木嘉則による書評:『第二言語としての日本語の習得研究』6,2003]

  (76)『第二言語習得・教育の研究最前線―あすの日本語教育への道しるべ―』(日本言語文化学研究会『言語文化と日本語教育』2002年5月増刊特集号,2002.5)[齋藤浩美「連体修飾節の習得に関する研究の動向」,菅谷奈津恵「第二言語としての日本語のアスペクト習得研究概観」などを収録]

 そのほか,(77)は日本語文法の記述的研究が日本語教育に役立つためにはどうすればよいのかを述べた説得力のある論文である。

  (77)白川博之「記述的研究と日本語教育――「語学的研究」の必要性と可能性――」(『日本語文法』2-2,2002.9)

 

 6.3 国語教育と連携した研究領域の拡大

 国語教育との関連で文法を考えるものは少ないが,(78)や(79)があげられる。

  (78)山田敏弘「中学校国語教科書の文法的解析~光村図書中1教科書を例に~」(『岐阜大学教育学部研究報告 人文科学』51-2,2003.3)

  (79)森山卓郎「小学生はいかに文を解釈するか――同一解釈の計算から――」(『日本語文法』3-2,2003.9)

 

 6.4 言語情報処理研究と連携した研究領域の拡大

 言語情報処理の研究にも,(80)のように言語研究を応用したものや,(81)のように言語研究の参考になるものがある。(81)は,比喩である「じゅうたんのような芝」と比喩でない「中国のような国」を,意味情報を用いたパターン分類で判定するものである。

  (80)謝軍・卜朝暉・池田尚志「日中機械翻訳におけるテンス・アスペクトの処理」(『自然言語処理』10-4,2003.7)

  (81)田添丈博・椎野努・桝井文人・河合敦夫「“名詞Aのような名詞B”表現の比喩性判定モデル」(『自然言語処理』10-2,2003.4)

 

 6.5 研究領域を拡大する一般向けの著作

 一般向けの著作にも,単に日本語文法を解説するのではなく,研究領域を拡大しようとするものが現れてきた。(82)は,「そうじゃ,わしが知っておる」のような「博士語」などの「役割語」を分析した斬新なもので,日本語の歴史的研究や社会言語学的研究などとも関わるものである。(83)は文学作品や歌詞を文法的に見ていこうとするもので,文学研究や国語教育とも関連するものである。

  (82)金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店,2003.1)

  (83)森山卓郎『表現を味わうための日本語文法』(岩波書店,2002.7)

 

7. これからの研究の方向性

 

 現代語文法の研究の多角化は,これからも進んでいくだろう。文法的な分析能力を十分身につけた上で,周辺的なテーマに手を伸ばしたり,新しい研究方法を開発したり,他の研究分野と連携したりしなければ,特に若い研究者は生き残りにくくなっていくだろう。そうした生き残りの努力の典型は,たとえば,(84)をはじめ,「のだ」とその周辺を多角的に研究している名嶋義直に見ることができる。

  (84)名嶋義直「ノダカラの意味・機能――語用論的観点からの考察――」(『語用論研究』5,2003.12)

 多角化の進展は,(85)のような比較的穏健であるはずの講座ものにも反映されている。

  (85)北原保雄(編)『朝倉日本語講座5 文法I』(朝倉書店,2003.10)[砂川有里子「話法における主観表現」,三原健一「普遍文法と日本語――結果構文を題材として――」などを収録]

 

 ※文献の閲覧・複写については,齋藤達哉さん,新野直哉さんをはじめ,国立国語研究所の方々にお世話になった。文献の複写・整理には,王崗さん,鴻野知暁さん,駒井裕子さん,野田高広さん,雷桂林さん,林立梅さんの助力を得た。

――大阪府立大学教授――

 

 

野田尚史 学歴・職歴 著書・論文 講演・発表